20191109中山幸子の報告
ここに来たのは、あなたなら信じてくれると聞いたからです。
誰もこの話を信じてくれなくて……作り話だろうとか、虚言癖とまで言われて病院へ受診をすすめられました。
大学生の頃、まだ新入生だった私に親身になって相談に乗ってくれた先輩がいました。彼女は卒業後、もっと語学の勉強がしたいとアメリカへ留学に行きました。そして、そこで遺伝子工学を研究している男性と結婚しました。
かなり大きな研究施設に勤めている方で、結婚式の前に一軒家を購入したというメールが送られてきました。もちろん、結婚式にも呼ばれ、幸せそうに純白のウエディングドレスを着ている彼女を見て私も幸せに思ったことを覚えています。
彼女はとても幸せそうでした。
しばらくして、子どもができたというメールが来ました。
流産も危ぶまれるぐらい危険な状態が続いたそうですが、その街の病院は世界的にも最先端の医療技術があるらしく、出産予定日よりもかなり早い段階で帝王切開したそうです。
無事に退院したので、遊びに来て欲しいというメールが届きました。
私も仕事が落ち着いていたので、リフレッシュも兼ねて長期休暇をいただき、さっそく飛行機の手配をしました。
彼女の小さな赤ちゃんのために、高級タオルと涎掛けのセットを用意しました。
空港から電車に乗り、彼女が住んでいる街へ行きました。
電車は森を抜け、高層ビルはないものの、そこそこ発展した街が見えてきました。
街の人たちはとても親切で、タクシー乗り場の場所や、美味しいステーキレストランのお店など教えていただきました。
お腹は空いていなかったので、まっすぐ彼女の家に向かいました。
とても立派な一軒家で、玄関先の自動的に芝生に水をやるスプリンクラーに感動したことを覚えています。
インターホンを押すと、彼女と共にかわいらしいビーグル犬が出てきました。
久しぶり、と彼女は幸せいっぱいの笑顔で私を出迎えてくれました。
プレゼントを渡すと、さっそくかけてあげましょうと、タオルを丁寧に取り出しました。
私は案内されたリビングのソファに座ると、ビーグル犬がちょこんと私の横に座りました。とても人懐こいよい子でした。
彼女は私のためにお茶とビスケット(しかも手作り)を持ってきたあと、赤ずきんちゃんが持っているようなカゴを抱えてきました。そっとテーブルに置くと、信じられないぐらい小さな赤ちゃんがプレゼントしたタオルに包まれて眠っていました。
いくら医療技術が進んでいるからといって、ここまでの未熟児が保育器なしで過ごせるなんて、と私は素直に彼女に言いました。
赤ちゃんは、私の掌にすっぽりとおさまる程度ぐらいしかなかったのです。
この街じゃなかったら助かってなかったかもって夫も言うの。素晴らしい街だわ。
彼女は誇らしげに、そして愛おしそうに赤ちゃんを眺めていました。
それから、お互いの近状を報告したり、さっき教えて貰ったステーキレストランの話などをしました。彼女もステーキレストランはよく通っているらしく、そこの店主は自ら牛を育てていて屠殺まで行っていることを教えてくれた。明日あたり一緒に行こうという話になりました。
数時間話しこんだのに、まだ赤ちゃんは眠っていました。未熟児だからほとんど眠っているの、と彼女は言いました。
洗濯物の乾燥が終わっているから、ちょっと見てきていいかしら。その間、この子をお願いできる? 大丈夫、ほんとに眠っているだけだから。
彼女はそう言い残して、地下室へと向かいました。
私はクッキーを食べながら、静かに寝息をたてる赤ちゃんを眺めたり、ビーグルの頭をなでたりして時間を潰していました。
お茶を飲みすぎたのかトイレに行きたくなったので、彼女に声をかけてみましたが、リビングからでは地下室に聞こえないようでした。
トイレの場所は聞いていたので、すぐに戻ってくるから大丈夫だろうとトイレに行きました。
思えば、とても馬鹿なことをしたと思っています。
本当に、トイレぐらい我慢すればよかった。
トイレから戻ると、彼女は真っ青な顔で
赤ちゃんがいない!
と叫んでいました。慌ててカゴの中を見ると、そこで静かに眠っていた赤ちゃんがいませんでした。
なんでなんで? と私はパニックになり、テーブルの下やソファの下を探しました。まるで落ちたピアスを探すように、私は床下に這いつくばって探し回りました。
食べたのよ。
彼女は震える声で言いました。
食べたって、誰が?
こいつよ!
そう言って彼女が指したのはビーグルでした。
そのときは、それが一番正解なような気がしました。赤ちゃんが一人でどこかへ行くわけがない。なら、このビーグルが食べてしまったんだと。
なんでちゃんと見てくれなかったの!
彼女は私を殴って責めました。しかたない、責められることを私はしました。
殴られながら、私は罪の意識を重く感じ、警察に自首すると言いました。
私は彼女の家の電話を借りて現地の警察へ電話しました。
リビングへ戻ると、彼女はビーグルを両手で抱き上げ、そして思いっきり床へと投げつけていました。ビーグルは小さく悲鳴を上げるとぐったりしました。
私の赤ちゃんを返せ!
彼女はキッチンから持ってきた包丁でビーグルの腹を切り裂きました。
血だらけになり、胃袋を書き出し、さらに包丁で裂きました。
ない、ない、私の赤ちゃん、どこ。
私は狂気にまみれた彼女を止めることができず、ただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。
しばらくして警察が到着し、パニックになっている彼女の代わりに私がすべてを話しました。
まずは警察署に連れて行かれ、私はずっと赤ちゃんを放置してトイレに行ってしまったことを悔やんでいました。ごめんなさいごめんなさい、赤ちゃん。私のせいで。
すると、取り調べを行っていた警察官が急に黙り込みました。
「あなたはもう、あの家に行かないほうがいい」
そうですね、あんなことがあったから彼女に合わせる顔がありません。
「いいですか、落ち着いてよく聞いてください。赤ちゃんはいません」
そうです、だって、私が目を離したから
「彼女は、2ヶ月前に流産しています。病院に確認しましたが、ちゃんと診断書もあります。赤ちゃんは、いなかったんですよ」
そう言われ、私は釈放されました。
その後、彼女とは連絡をとっていません。
噂によると、そのあとにあの街で大きな事故があって閉鎖されたと聞きました。
彼女がまだあの街にいるのか、それともどこかへ引っ越したのかわかりません。
信じて、くれますか?